高齢者に残された時間は、決して無限ではありません。
だからこそ、「○○をすれば老化を防げる」「△△が長寿の秘訣だ」といった健康情報を、もっともらしいというだけで試し続ける時間はありません。
健康情報を読むとき、私は以前から一つ気になっていました。
発言している人が著名な研究者だから、社会的な役職があるから、あるいは医師だから――それだけで、その話が正しいとは限りません。
もちろん専門家の知識や経験は重要です。しかし、もっと大切なのは、
「誰が言ったか」ではなく、「何を根拠に、何を言っているのか」
です。
学術論文でも同じです。統計的に有意な結果が出ていても、観察された事実と、その事実を説明する因果関係との間には距離があることがあります。
私は、
「その説明は、老化という現象の時間的な動きや因果関係から見て、本当に成り立つのか」
を点検するための論理的な物差しが欲しいと考えていました。
その物差しを探す中で出会ったのが、老化細胞と、その動きを説明する数理モデルでした。
しかし、その前に一つ疑問が浮かびます。
そもそも老化細胞とは何者なのか。私たちが老いること、身体機能が低下すること、そして寿命と、どんな関係があるのでしょうか。
まず、そこから始めます。
1.そもそも老化細胞とは何者なのか
老化細胞は、単に「年を取った細胞」ではありません。
DNA損傷などのストレスを受け、細胞分裂を停止したまま生き残っている細胞です。
細胞分裂を止めること自体は悪いことではありません。老化細胞には、発生、傷の修復、異常な細胞の増殖を防ぐことなど、身体を守る役割もあります。
問題は、役目を終えた老化細胞が身体の中に残り、年齢とともに増えてくることです。
老化細胞の一部は、周囲へ炎症を引き起こす物質などを放出します。それが長く続くと、慢性炎症を起こしたり、組織の再生を妨げたりします。(出典1)
さらに重要なのは、老化細胞が「老化した結果として増えるだけ」ではなさそうなことです。
マウスでは、老化細胞を人為的に除去すると、心臓、腎臓、脂肪組織などの加齢性変化が軽減され、平均寿命も延びました。(出典1)
つまり少なくともマウスでは、
老化したから老化細胞が増えるだけでなく、増えた老化細胞そのものが老化を押し進める
という因果関係があると考えられています。
もちろん、人間で老化細胞を除去すれば寿命が延びる、と証明されたわけではありません。
それでも、
「では、なぜ老化細胞は年齢とともに増えるのか」
を理解することは、老化そのものを考える重要な問題になります。
ここからSRモデルの物語が始まります。
2.老化細胞が増える理由は、一つではない
老化細胞が年齢とともに増える。
この事実だけなら、いくつもの説明を考えられます。
年を取るとDNA損傷などが増え、老化細胞が作られやすくなるのかもしれない。
老化細胞が周囲の細胞を老化させ、さらに老化細胞を増やすのかもしれない。
免疫の働きが弱くなり、老化細胞を片づけられなくなるのかもしれない。
あるいは、
老化細胞が増えること自体によって、さらに老化細胞を片づけにくくなる
のかもしれません。
2019年、Omer Karin、Uri Alonらは、この4つの仕組みを組み合わせて16種類の数理モデルを作り、どれが実際の老化細胞の動きを最もよく説明するのかを比較しました。(出典1)
「この説が有名だから」「もっともらしいから」と一つを選んだのではありません。
考えられる説明を並べ、実際のデータに合わないものを落としていったのです。
その比較から浮かび上がったのが、
「老化細胞を片づける力が、老化細胞の増加によって頭打ちになる」
という考え方を数式にした、老化細胞除去飽和モデル(SRモデル:Saturating Removal model)でした。(出典1)
3.33匹を追い続けて見えた「元に戻れなくなる」という変化
研究者たちが使ったのは、33匹の同じマウスを8週齢から80週齢まで、8週間ごとに追跡したデータです。(出典1)
ヒト年齢の目安では、約16歳から57歳に相当します。(出典2)
つまり、若い時期から中高年期まで、同じ個体を長期間追い続けたことになります。
老化細胞を直接数えたわけではありません。老化細胞の目印の一つであるp16の働きを発光によって測り、老化細胞量の指標としました。(出典1)
その結果、年齢とともに老化細胞の平均量が増えるだけでなく、マウスごとの差も大きくなりました。
しかし、私が最も重要だと思うのはそこではありません。
若いマウスでは、ある時点で老化細胞が平均より多くても、その後は平均との差が小さくなりやすい。
ところが年を取るにつれて、
老化細胞が多かった個体は、次に測っても多いままになりやすい。
少なかった個体は、少ないままになりやすい。
つまり、
一度ずれた状態から、元へ戻るのに時間がかかるようになっていた
のです。(出典1)
そこで必要になったのが、
老化細胞が増えるほど、その除去そのものが遅くなる
という仕組みでした。
この仕組みを含まないモデルでは、実際のデータをうまく説明できませんでした。(出典1)
若いうちは、老化細胞を片づける能力に余裕があります。
一時的に老化細胞が増えても、比較的速く片づけて元へ戻せます。
ところが老化細胞が増えてくると、その掃除能力に余裕がなくなり、一度増えた老化細胞がなかなか減らなくなる。
ここから、老化について少し違った景色が見えてきます。
老化とは、悪いものが増えることだけではなく、「元に戻す力」が失われていく過程なのではないか。
4.よいモデルなら、別の実験結果も予測できるはずだ
しかし、33匹のマウスのデータを説明できただけでは、そのデータに合わせて数式を作っただけかもしれません。
本当に強いモデルなら、
まだ測っていない結果を予測できるはずです。
SRモデルは、
若い3か月齢マウスでは老化細胞の半減期が約5日、
老齢22か月齢マウスでは約25日、
と予測しました。(出典1)
研究者たちは別の実験で、bleomycinという薬剤を使って肺に老化細胞を増やし、その後どのくらいの速さで減るのかを測りました。
結果は、
若いマウスでは約4.7日、
老齢マウスでは約18日。
年を取ると、老化細胞が長く残ることが確認されました。
しかも、この実験結果に合わせてSRモデルを作り直したわけではありません。
33匹のマウスから作ったモデルが、別の実験結果をかなりよく予測したのです。(出典1)
一方、「年を取るにつれて除去能力が単純に低下する」と考えた別の数理モデルでは、この結果をうまく説明できませんでした。
SRモデルはここで、
「一つのデータを説明するモデル」から「別の実験でも試されたモデル」へ一段進みました。
5.細胞の動きから、人口全体の死亡率までつながった
SRモデルのもう一つの大きな特徴が、ゴンペルツ則を説明できることです。
ゴンペルツ則とは、成人以降、死亡リスクがおおむね年齢とともに指数関数的に上昇し、非常に高齢になるとその上昇がやや緩やかになるという人口統計上の法則です。
一方は、老化細胞が一個体の中でどう増えたり減ったりするかというミクロの話。
もう一方は、大勢の人の死亡年齢を集めて初めて見えるマクロの法則です。
ところがSRモデルでは、
老化細胞量がある水準を超えると死亡につながる
と仮定すると、年齢とともに死亡率が急速に上昇するゴンペルツ則が自然に現れました。(出典1)
若いうちは老化細胞が増えても、余裕のある除去能力によって元へ戻しやすい。
しかし加齢とともに除去能力が頭打ちになると、老化細胞が高い状態から戻れない個体が増え、死亡につながる水準へ達する個体も急速に増えていきます。
SRモデルでは、非常に高齢になると、老化細胞量の高かった個体はすでに死亡し、低い状態を維持してきた個体が多く残るため、死亡率の上昇が緩やかになると説明されます。(出典1)
もちろん、
「老化細胞が一定量を超えれば人間が死亡する」と実証されたわけではありません。
これは数理モデル上の仮定です。
それでも、
細胞レベルの動きから、人口全体の死亡率というまったく別の現象までが一つにつながった
ことには大きな意味があります。
もし老化細胞の蓄積が老化を押し進める重要な因果要因の一つなら、
老化細胞が作られる量を減らす、あるいは片づける能力を改善することで、加齢性疾患や寿命にも影響できるのではないか。
そんな期待も生まれます。
6.2021年――まったく別の実験でも通用するのか
それでも、2019年の研究だけでSRモデルが正しいと決めつけることはできません。
2021年、KarinとAlonは、別の研究グループによるパラバイオシスの実験データを使ってモデルを検討しました。(出典3)
パラバイオシスとは、2匹のマウスの血液循環を共有させる実験です。
老化細胞関連の指標は、
若齢同士 < 若老の若齢側 < 若老の老齢側 < 老齢同士
という順序になりました。(出典3)
これは、
「老化細胞が作られる量が増えるだけ」
でも、
「片づける能力が落ちるだけ」
でも説明できません。
作られる量が増えることと、片づける力が低下することの両方が必要
だと考えると説明できました。(出典3)
ただし、この実験だけでは、
老化細胞が増えたから片づけにくくなったのか、
それとも年を取ったために免疫などの除去能力が低下したのか、
そこまでは区別できません。
著者自身が追加実験の必要性を認めています。(出典3)
「ここまでは分かった。しかし、ここから先はまだ分からない」
この線引きも科学には重要です。
7.2022~2024年――「なぜ片づけられにくくなるのか」が見えてきた
2019年のSRモデルには、大きな疑問が残っていました。
本当に老化細胞自身が、免疫に片づけられにくい状態を作るのでしょうか。
2022年、東京大学などの研究グループがNatureに重要な研究を報告しました。(出典4)
一部の老化細胞では、PD-L1という分子が増えていました。
PD-L1は、簡単に言えば、免疫細胞からの攻撃にブレーキをかける分子です。
PD-L1を多く持つ老化細胞はT細胞から攻撃されにくく、加齢とともに蓄積していました。さらに免疫のブレーキを薬で遮断すると、老化細胞の指標であるp16陽性細胞が減りました。(出典4)
つまり、
老化細胞になる
→ 免疫から逃げやすくなる
→ 片づけられにくくなる
→ さらに蓄積する
という経路が実際に存在する可能性が示されました。
さらに2024年には、その仕組みがもう一段詳しく調べられました。(出典5)
老化細胞でp16が高くなると、PD-L1が細胞内で壊されにくくなり、長く残ります。その結果、免疫から片づけられにくくなると考えられました。(出典5)
興味深いのは時間の順序です。
2019年には数理モデルから、
「老化細胞が自分たちの除去を妨げる仕組みが必要らしい」
と推定されました。
その数年後、その仕組みを説明し得る具体的な生物学的経路が見つかってきたのです。
もちろんPD-L1だけで、老化細胞蓄積のすべてを説明できるわけではありません。
しかし、
数理モデルが要求した仕組みに、後から生物学的な候補が見つかった
ことは重要です。
8.2025年――「何年生きるか」ではなく、「どう生き終えるか」へ
100年健康ナビで本当に知りたいのは、ただ寿命を延ばす方法ではありません。
できるだけ長く元気に自立して暮らし、病気や身体の不自由を抱えて過ごす最後の期間を短くすることです。
2025年、YangらはSRモデルを、この問題へ広げました。(出典6)
重要なのは、
寿命が延びても、最後の病気の期間まで一緒に延びることがある
という点です。
長寿介入によって生存曲線全体が横に引き延ばされるだけなら、元気な期間は延びても、病気や機能低下の期間まで延びる可能性があります。
いわば「ダラダラ型の長寿」です。
一方、高い生存確率が長く保たれ、人生の終わり近くになって急速に低下する生存曲線があります。
これは私が目指したい「ピンピンコロリ型の長寿」に近い形です。
SRモデルでは、このように生存曲線が急になる介入では、寿命に占める最後の病気や機能低下の期間が短くなると予測します。(出典6)
研究者たちは、マウス、ショウジョウバエ、線虫のデータを調べました。
すると、生存曲線がより「ピンピンコロリ型」に近づく介入ほど、寿命に占める病気や機能低下の期間が短くなる傾向が認められました。(出典6)
もちろん、
「この介入を人間が行えば介護期間が短くなる」
と証明されたわけではありません。
しかし、
「何年長生きできるのか」ではなく、「その増えた年月をどのような状態で過ごすのか」
を見る必要があることを教えてくれます。
9.私はSRモデルを「信じる」のではなく、健康情報のふるいとして使う
ここで振り返ると、SRモデルはかなり異なる現象を説明しています。
老化細胞が年齢とともに増えること。
一度増えた老化細胞が、老齢になるほど減りにくくなること。
実際に測定された老化細胞の除去速度。
パラバイオシスによる変化。
加齢とともに死亡率が急上昇するゴンペルツ則。
そして、「ダラダラ型長寿」と「ピンピンコロリ型長寿」の違い。
一見すると別々の現象です。
しかしSRモデルは、それらを、
「作られるもの」と「片づける力」のバランスが崩れ、やがて片づける力に余裕がなくなる
という共通した構造から説明しようとします。
まったく異なる現象を、少数の共通ルールから説明できる。
これは、SRモデルが老化という複雑な現象の中から、何か重要な「動きの法則」をうまく取り出している可能性を示しているのではないでしょうか。
もちろん、多くの現象を説明できるからといって、SRモデルが正しいと証明されたわけではありません。
人間で老化細胞を何十年も追跡して確認したわけでもありません。
老化には老化細胞以外の多くの仕組みも関わっています。
だから私は、SRモデルを「信じるべき老化理論」として使うのではありません。
使いたいのは、
「この健康情報は、これまで分かってきた老化の時間的な動きや因果関係と、論理的に両立するのか」
を考えるためのふるいとしてです。
たとえば、
「この食品を食べれば老化細胞が減る」
という研究が出てきたとします。
そこで知りたいのは、「統計的に有意に減った」という一文だけではありません。
老化細胞が作られにくくなったのでしょうか。
それとも、片づけられる速度が上がったのでしょうか。
どのくらいの期間で変化したのでしょうか。
介入をやめれば元へ戻るのでしょうか。
本当に老化細胞そのものを測ったのでしょうか。それとも間接的な指標でしょうか。
そして最終的に、身体機能や病気、元気に自立して暮らせる期間の延長につながったのでしょうか。
こうして因果関係を一つずつ確認していけば、
「研究で実際に確認されたこと」と「そこから研究者や専門家が解釈したこと」
を分けて読むことができます。
そのため私は今後、論文をSRモデルの視点から、
「整合する」
「部分的に整合する」
「SRモデルだけでは判断できない」
「SRモデルの既知の動態と矛盾する」
という観点でも見ていこうと考えています。
ただし、これはSRモデルに合わない研究を排除するためではありません。
SRモデルと矛盾する質の高いデータが出てくれば、SRモデルの方を修正しなければなりません。
科学で大切なのは、理論を守ることではなく、現実に合わない説明を捨てることだからです。
2019年、Karinらもそれを行いました。
「誰が唱えた説なのか」ではなく、「実際の老化細胞がどう動いているのか」
を基準に、合わない説明を落としていきました。
高齢者の時間は有限です。
だからこそ、
権威ではなく、データと論理を見る。
そして、
そもそも因果関係として成り立ちにくい健康情報に、残された貴重な時間を使わない。
SRモデルとの出会いから私が得た最大のものは、一つの数理モデルそのものよりも、むしろ、この健康情報との向き合い方なのかもしれません。
出典
- Omer Karin et al., 2019, “Senescent cell turnover slows with age providing an explanation for the Gompertz law” Nat Commun. 2019 Dec 2;10(1):5495. doi: 10.1038/s41467-019-13192-4. PMID: 31792199. ※Supplementary Informationを含む。
- K. Flurkey, J.M. Currer, and D.E. Harrison, 2007, “Chapter 20 – Mouse Models in Aging Research” The Mouse in Biomedical Research. 2nd ed. Vol. 3: Normative Biology, Husbandry, and Models. pp.637–672. Academic Press / Elsevier.
- Omer Karin & Uri Alon, 2021, “Senescent cell accumulation mechanisms inferred from parabiosis” Geroscience. 2021 Feb;43(1):329–341. doi: 10.1007/s11357-020-00286-x. Epub 2020 Nov 25. PMID: 33236264.
- Teh-Wei Wang et al., 2022, “Blocking PD-L1-PD-1 improves senescence surveillance and ageing phenotypes” Nature. 2022 Nov;611:358–364. doi: 10.1038/s41586-022-05388-4. PMID: 36323784.
- Julia Majewska et al., 2024, “p16-dependent increase of PD-L1 stability regulates immunosurveillance of senescent cells” Nat Cell Biol. 2024 Aug;26(8):1336–1345. doi: 10.1038/s41556-024-01465-0. PMID: 39103548.
- Yifan Yang et al., 2025, “Compression of morbidity by interventions that steepen the survival curve” Nat Commun. 2025 Apr 8;16(1):3340. doi: 10.1038/s41467-025-57807-5. PMID: 40199852.
